1998年12月1日火曜日
デフレ経済はとにかく生き抜こう
今回の不況は想像以上に長引くとの見方が次第に強まっている。景気対策を小出しにしてタイミングを失するうちに、日本経済の伝統的な牽引役である民間設備投資が、いよいよ下降循環に入ってしまったからである。
設備投資の循環サイクルがいったん下向くと3年は続くのが過去の例だ。その間、在庫循環などの短期的な景気サイクルが上向いても、また少々の財政を出動させても、人為的な手段ではなかなか景気は浮揚しないのである。
そのうち頼みの米国経済も怪しくなってくる。アジア経済が最悪期を脱するとしても日本経済を牽引するにはいかにも小さい。ということで、やっぱり不況は長期化するように見える。そういった状況のなかで、我々はどう対応すべきなのだろうか。ひとつ皆になりかわって考えてみよう。
まず企業であるが、オペレーション規模の適正化がなによりも大切との認識が広まっている。需要が縮小するなかで収益を上げうる企業体質への転換である。これは短期的には縮小均衡となるが、市場に参加する企業数の淘汰も同時に進むので、生き残れさえすれば最終的には売上高は拡大すると期待できるのだ。
家計もデフレ経済のなかで出来るだけ身軽になろうとしている。わが国には「シンプルライフ」「清貧」をよしとする伝統があり、極端な倹約も美意識に沿ったかたちで実行可能だ。支出は最小限にとどめひたすら資産の蓄積に励む。また今から生活程度を下げておけば年金生活へ移行してもショックが少ない。貯金はまさに一石二鳥なのである。
一方、資産面では各人の金融資産の目減り防止が最大の課題となる。バブル崩壊で地価、株価をはじめ資産価格が大幅に目減りしてしまったが、預貯金で保有する金融資産は、相当部分がバブル期に家計が企業部門に高値で売った不動産の代金であるが、まったく目減りしていない。問題は確実な投資先が少ないことだが、幸い巨額の国債発行と財投(郵貯)は毎年続くのでそれに投資すればよい。投資の収益は税務署が納税者から責任を持って取り立ててくれるので安心である。警戒すべきは「調整インフレ」だが、最近はこの議論も下火になった。
上記がほとんどの企業と家計が考えていることではないか(図星でしょう)。でも皆が同じ行動をとると「合成の誤謬」が生じる。よって不況は長引くのである。
しかし悪いことばかりではない。不況が続く限り日本産業は合理化を続けるので競争力が向上する。また家計も貯蓄を続けるので資金がたまる。だから日本経済は、将来的にはますます巨大な資金といよいよ強い国際競争力を持つことになるだろう。「合成の誤謬」転じて「合成の大正解」である。再び日米摩擦? でも今度はもっと謙虚に行きたいものだ。
(橋本尚幸)
1998年11月30日月曜日
杉野さんとアルページュ
〔旧HPより転載〕
杉野さんは亡くなってしまった。向井さんも島氏さんも、江面さんも酒井さんも、みんな亡くなってしまった。楽しいときがあれば、終わりもあるのだ。
杉野さんとアルページュ杉野さんとアルページュ杉野さんとアルページュ
杉野禾吉さんとアルページュ
1998.11 アオレレ (AOLELE) 文集に寄稿
はじめて杉野さんにお会いしたのは、もう30年近くも前になりますが、油壷に浮かぶ青いアルページュの上でした。僕は当時、東京に出てきたばかりの新入社員で、一年先輩の島氏さんの紹介でアオレレに寄せてもらうことになったのです。夏も終わりのある土曜日の午後(当時の住商では土曜日は各週で出勤でした)、向井さんの車で油壷に向かいました。道は混んでいましたが、長者が崎をまわったとたんに、青い海と白い雲が目の前いっぱいに広がり、とても感動したのを憶えています。
道ばたにアシタバが生えているヨッテル際の細道を下り、テンダーを漕いで、お椀のように丸くて背が高いヨットに到着しました。それがアオレレで、なんでもフランス製のアルページュという最新型プロダクションボートで、この春の太平洋横断シングルハンドレースで堂々二位で三崎にゴールしたものを、アオレレメンバーの得意の英語交渉力で買い取ったとのことでした。僕がその高いスターン(その時はまだ梯子がついていなかった)を苦労してよじ登るのを、コックピットから助けてくれた人が杉野さんで、白い半ズボンに、学生帽のような青い帽子がとても印象的でありました。
アオレレでは毎晩が酒盛りでとても盛り上がりました。向井さんは、アルページュの近代的なキッチンで盛んに料理をつくり「このジョンジョン(日本酒)は美味しいよ」と剣菱を呑んでました(わたしは関西育ちなのに剣菱の名前も知らなかった)。江面さんは「式根という島に行くと、崖下の浜に温泉が湧いていて、そこに入っていると目の前に夕陽が見えて、波がどーんと跳ねかえって、とーてもチョーワ(良い)よ」と話してくれました。冨島さんは「ミラノに出張で行ったが日本の円を交換しようとしてもどこでも換えてくれなかった、日本はまだまだアンデーな(良くない)国よ」外国のみやげ話をしていました。島氏さんは「ネー、ネー(了解、了解)」と云いながら、いつもニコニコされていました。隣の船の方がアジのたたきを作ってくれました。(こうやってバイ菌を一つづつ殺すのよ、といって包丁で盛んにアジを叩いておられました)。その他にもいろんな楽しい人たちが集まってアオレレは毎晩にぎやかでした。杉野さんは「普通の船はまずハルがあってその中にキャビンを埋め込むのだが、この船はまずキャビンを設計してその外側にハルをとりつけたのよ」とアルページュの居住性をこよなく愛しておられました。
進藤さんが船にミス・エクアドルを連れてきたり、杉野さんがビール会社の宣伝に船を提供したので美人モデルが大挙してやってきたり、それはそれはドキドキするような楽しいことがいっぱいありました。はじめての初島レースでは、強風のなかでスキッパーの沼口さんの英雄的なティラーさばきに感動しました(明け方になっても頑張って舵を引く沼口さんの頬に、青々と髭が(進行形で)伸びてくるのをみて、ただただすごいと思いました)。向井さんが大きなシイラを釣って、それを皆で食べ尽くしました。そのまま鍋に放り込んで揚げたアナゴのてんぷらも絡み合っていてすごかった。波布の港の岸壁で、御神火という焼酎といっしょにはじめて食べたクサヤの美味しかったこと。日曜日の夕方になると杉野さんの年代物の青い「トラック」をだましだまし運転して東京に帰ってきました。アルページュに乗っていた時の僕たちは本当に楽しく幸せでした。
でもしばらくして僕はアルゼンチンに行くことになり、油壷を去りました。杉野さんも考えるところがあり、会社を辞められ日本を離れました。杉野さんはアルゼンチン経由でブラジルに向かわれたのですが、ブエノスアイレスのバスターミナルで、一人でブラジルに発つ杉野さんをお見送りした時は、さすがに感無量でした。
向井さんが「ヨットマンは常に超現実の世界に理想と夢を求めるのだ」との趣旨のことを云ったことがあります。僕も同じように感じることがあります。船首を大海原に向けてティラーを引くとき、この世のしがらみは後ろに残し去って、すばらしい希望に向けて船を進めているような気になるのです。人生においては、僕の場合、理想と夢は空想の世界の中にそれを求めることで我慢してきたように思います(空想への逃避をしていたのです)。しかし杉野さんの場合は、勇気があり、あくまでも現実の世界における夢と理想を追求され、実践されたのでした。
杉野さんを思い出すとき、どうしても青い色が浮かんできます。相模湾の青い海。杉野さんの青い帽子と青いダッフルコート。杉野さんの青い「トラック」。そしてあくまでも青いヨット「ブルー・アルページュ」です。
アルページュといえば、同じ名前のフランスの香水があります。家内はごく若いころ、この香水をつけていたのですが、それはもうずっと昔のことで、いまはその香りも嗅ぐこともありません。アルページュとは、永遠に「青春の香り」なのかも知れません。
(橋本尚幸)
杉野さんは亡くなってしまった。向井さんも島氏さんも、江面さんも酒井さんも、みんな亡くなってしまった。楽しいときがあれば、終わりもあるのだ。
杉野さんとアルページュ杉野さんとアルページュ杉野さんとアルページュ
杉野禾吉さんとアルページュ
1998.11 アオレレ (AOLELE) 文集に寄稿
はじめて杉野さんにお会いしたのは、もう30年近くも前になりますが、油壷に浮かぶ青いアルページュの上でした。僕は当時、東京に出てきたばかりの新入社員で、一年先輩の島氏さんの紹介でアオレレに寄せてもらうことになったのです。夏も終わりのある土曜日の午後(当時の住商では土曜日は各週で出勤でした)、向井さんの車で油壷に向かいました。道は混んでいましたが、長者が崎をまわったとたんに、青い海と白い雲が目の前いっぱいに広がり、とても感動したのを憶えています。
道ばたにアシタバが生えているヨッテル際の細道を下り、テンダーを漕いで、お椀のように丸くて背が高いヨットに到着しました。それがアオレレで、なんでもフランス製のアルページュという最新型プロダクションボートで、この春の太平洋横断シングルハンドレースで堂々二位で三崎にゴールしたものを、アオレレメンバーの得意の英語交渉力で買い取ったとのことでした。僕がその高いスターン(その時はまだ梯子がついていなかった)を苦労してよじ登るのを、コックピットから助けてくれた人が杉野さんで、白い半ズボンに、学生帽のような青い帽子がとても印象的でありました。
アオレレでは毎晩が酒盛りでとても盛り上がりました。向井さんは、アルページュの近代的なキッチンで盛んに料理をつくり「このジョンジョン(日本酒)は美味しいよ」と剣菱を呑んでました(わたしは関西育ちなのに剣菱の名前も知らなかった)。江面さんは「式根という島に行くと、崖下の浜に温泉が湧いていて、そこに入っていると目の前に夕陽が見えて、波がどーんと跳ねかえって、とーてもチョーワ(良い)よ」と話してくれました。冨島さんは「ミラノに出張で行ったが日本の円を交換しようとしてもどこでも換えてくれなかった、日本はまだまだアンデーな(良くない)国よ」外国のみやげ話をしていました。島氏さんは「ネー、ネー(了解、了解)」と云いながら、いつもニコニコされていました。隣の船の方がアジのたたきを作ってくれました。(こうやってバイ菌を一つづつ殺すのよ、といって包丁で盛んにアジを叩いておられました)。その他にもいろんな楽しい人たちが集まってアオレレは毎晩にぎやかでした。杉野さんは「普通の船はまずハルがあってその中にキャビンを埋め込むのだが、この船はまずキャビンを設計してその外側にハルをとりつけたのよ」とアルページュの居住性をこよなく愛しておられました。
進藤さんが船にミス・エクアドルを連れてきたり、杉野さんがビール会社の宣伝に船を提供したので美人モデルが大挙してやってきたり、それはそれはドキドキするような楽しいことがいっぱいありました。はじめての初島レースでは、強風のなかでスキッパーの沼口さんの英雄的なティラーさばきに感動しました(明け方になっても頑張って舵を引く沼口さんの頬に、青々と髭が(進行形で)伸びてくるのをみて、ただただすごいと思いました)。向井さんが大きなシイラを釣って、それを皆で食べ尽くしました。そのまま鍋に放り込んで揚げたアナゴのてんぷらも絡み合っていてすごかった。波布の港の岸壁で、御神火という焼酎といっしょにはじめて食べたクサヤの美味しかったこと。日曜日の夕方になると杉野さんの年代物の青い「トラック」をだましだまし運転して東京に帰ってきました。アルページュに乗っていた時の僕たちは本当に楽しく幸せでした。
でもしばらくして僕はアルゼンチンに行くことになり、油壷を去りました。杉野さんも考えるところがあり、会社を辞められ日本を離れました。杉野さんはアルゼンチン経由でブラジルに向かわれたのですが、ブエノスアイレスのバスターミナルで、一人でブラジルに発つ杉野さんをお見送りした時は、さすがに感無量でした。
向井さんが「ヨットマンは常に超現実の世界に理想と夢を求めるのだ」との趣旨のことを云ったことがあります。僕も同じように感じることがあります。船首を大海原に向けてティラーを引くとき、この世のしがらみは後ろに残し去って、すばらしい希望に向けて船を進めているような気になるのです。人生においては、僕の場合、理想と夢は空想の世界の中にそれを求めることで我慢してきたように思います(空想への逃避をしていたのです)。しかし杉野さんの場合は、勇気があり、あくまでも現実の世界における夢と理想を追求され、実践されたのでした。
杉野さんを思い出すとき、どうしても青い色が浮かんできます。相模湾の青い海。杉野さんの青い帽子と青いダッフルコート。杉野さんの青い「トラック」。そしてあくまでも青いヨット「ブルー・アルページュ」です。
アルページュといえば、同じ名前のフランスの香水があります。家内はごく若いころ、この香水をつけていたのですが、それはもうずっと昔のことで、いまはその香りも嗅ぐこともありません。アルページュとは、永遠に「青春の香り」なのかも知れません。
(橋本尚幸)
1998年10月1日木曜日
企業にとっての情勢判断と情報
ピーター・ドラッカーによれば、今後の企業にとって最も重要な課題は「いかに外部情報を収集、分析し、それを経営戦略に組み込んでいくか」であるという(10月5日、日経新聞)。ビジネスが包含するリスクは、昔と較べ段違いに巨大化、複雑化していることを考えれば、企業経営にとってシステマティックな情報収集と分析、それにもとづく的確な情勢判断が、ますます重要になっていることはいうまでもない。問題は、どうやって企業体のなかに、こういった仕組みと風土をビルトインするかであるが、古今の情報収集分析の専門家が一致して重要と指摘している点を三つばかり紹介したい。
まず第一に、組織としての「複眼的」な情報分析が大切であるということ。経営判断は、基本的には所轄部門のいわゆる「ライン」情報にもとづき行われるのが通例であるが、ひとつの情報だけを判断の拠り所にするのではなく、常に別のチャンネルの情報も参考にすべきだということである。戦略重視の大英帝国においては、伝統的に、大使館経由の情報(「ライン」情報)に加え、MI6などの諜報機関のサイド情報が重要視されてきた。情報ルートが複数となると、当然それぞれの判断が食い違うことが起こるが、それが更に突っ込んだ議論を呼び起こし、判断の精度が高まる。情報は決して「一本化」してはならないのである。
第二の点は、公開されている文献情報の重視である。スパイ・ゾルゲの例は有名だが、昔から情報分析の専門家は、ほとんど公開情報をベースに情勢判断を行ってきた。「情報は足で稼げ」とは一面の真理ではあるが、それが文献情報の軽視につながるならば、とても危険な風潮と言わなければならない。
また「人間は自分の知識の範囲内においてのみ認識する」という臨床心理学の研究を信ずるならば、ストックとしての知識ベースを広げることが新たな情報を収集するためにも重要になってくる。情報の量が多くなると、どうしても複数の専門家による分業が必要になる。多数のワークステーションを並行稼働させることで超高速スーパーコンピューターなみの性能を出せるようになったように、チームプレーによる組織的な情報分析の技術を磨いて行かねばならない。
三つ目は「ビジネスの視点に立った」情報分析ということである。情報の値打ちとは、その情報がもたらしたアクションの大きさによって計られるという。一見なんでもない情報が戦いの帰趨に決定的な役割を果たした桶狭間の戦いの事例を見るまでもなく、結局どのような情報が経営判断にとって重要かを情報分析スタッフが十分知っていることが必要なのだ。その意味で、政治経済情勢の分析も、企業としてやる以上、ビジネスの実務経験者を中心にした情報分析体制で取り進めることが望ましいのである。
橋本尚幸
まず第一に、組織としての「複眼的」な情報分析が大切であるということ。経営判断は、基本的には所轄部門のいわゆる「ライン」情報にもとづき行われるのが通例であるが、ひとつの情報だけを判断の拠り所にするのではなく、常に別のチャンネルの情報も参考にすべきだということである。戦略重視の大英帝国においては、伝統的に、大使館経由の情報(「ライン」情報)に加え、MI6などの諜報機関のサイド情報が重要視されてきた。情報ルートが複数となると、当然それぞれの判断が食い違うことが起こるが、それが更に突っ込んだ議論を呼び起こし、判断の精度が高まる。情報は決して「一本化」してはならないのである。
第二の点は、公開されている文献情報の重視である。スパイ・ゾルゲの例は有名だが、昔から情報分析の専門家は、ほとんど公開情報をベースに情勢判断を行ってきた。「情報は足で稼げ」とは一面の真理ではあるが、それが文献情報の軽視につながるならば、とても危険な風潮と言わなければならない。
また「人間は自分の知識の範囲内においてのみ認識する」という臨床心理学の研究を信ずるならば、ストックとしての知識ベースを広げることが新たな情報を収集するためにも重要になってくる。情報の量が多くなると、どうしても複数の専門家による分業が必要になる。多数のワークステーションを並行稼働させることで超高速スーパーコンピューターなみの性能を出せるようになったように、チームプレーによる組織的な情報分析の技術を磨いて行かねばならない。
三つ目は「ビジネスの視点に立った」情報分析ということである。情報の値打ちとは、その情報がもたらしたアクションの大きさによって計られるという。一見なんでもない情報が戦いの帰趨に決定的な役割を果たした桶狭間の戦いの事例を見るまでもなく、結局どのような情報が経営判断にとって重要かを情報分析スタッフが十分知っていることが必要なのだ。その意味で、政治経済情勢の分析も、企業としてやる以上、ビジネスの実務経験者を中心にした情報分析体制で取り進めることが望ましいのである。
橋本尚幸
1998年9月1日火曜日
「第二の敗戦」で再び注目される坂口安吾
不況に加えて、企業、官庁のスキャンダル、さらには相次ぐ毒物事件と、日本列島にはいま、あたかも「第二の敗戦」といえるような無力感が漂っている。そのためか、戦後の灰燼のなかで当時の青年達に熱狂的に読まれた作家、坂口安吾に再び関心が集まっている。安吾の文章の幾つかを紹介させて欲しい。
「日本は負け、そして武士道は滅びたが、堕落という真実の母体によって始めて人間が誕生したのだ。生きよ墜ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救いうる便利な近道が有りうるだろうか」
『堕落論』の有名な一節である。でも単なる開き直りではない。安吾はいう。「(善人は気楽なものだが)堕落者は常にそこからハミだして、ただ一人曠野を歩いていくのである・・・孤独という通路は神に通じる道であり、善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、とはこの道だ」(『続堕落論』)
この安吾の『歎異抄』の読み方はやや独特だが、彼がいわんとしたことは堕落による新しい規範の創出に他ならない。すなわち「人は無限に墜ちきれるほど堅牢な精神にめぐまれていない。何物かカラクリにたよって落下をくいとめずにいられない・・・堕落は制度の母体である」(前掲書)
安吾は日本人はもともと復讐心が少ない人間であるからこそ仇討ちが制度化されたこと、権謀術数が伝統であればこそ武士道が工夫されたことなど例をあげ、だから「人は正しく墜ちる道を墜ちきることが必要なのだ」と説く。
さて現在、日本経済は景気の回復と構造改革という二つの相反する課題に直面している。どちらを優先するのか。安吾の考えによれば明らかに後者となる。
われわれ戦後世代は、戦後をひたむきに生き、日本の経済発展に寄与してきたと些かの自負はあるものの、荒廃した戦後教育しか受けられなかったゆえに、教養と独創性に欠けるとの指摘を受けることがある。内心忸怩たるものがある。それが自信喪失にもつながっている。でも安吾は気にすることはないという。
「僕は・・玉泉も大雅堂も竹田も鉄斉も知らない・・けれども、そのような僕の生活が・・貧困なものとは考えていない・・・法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ・・武蔵野の静かな落日はなくなったが累々たるバラックの屋根に夕陽が落ち・・ここにわれわれの実際の生活が魂を下ろしている限り、これが美しくなくて、何であろうか」
「猿真似を恥じることはない。それが真実の生活である限り、猿真似にも、独創と同一の優越があるのである」(『日本文化私観』)
安吾は「ありのままの自分への信頼」が最も大切と説いた。その言葉には今読んでみても魂の震えを覚える。そのため引用が長くなった。ご寛恕を乞う。
(橋本尚幸)
「日本は負け、そして武士道は滅びたが、堕落という真実の母体によって始めて人間が誕生したのだ。生きよ墜ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救いうる便利な近道が有りうるだろうか」
『堕落論』の有名な一節である。でも単なる開き直りではない。安吾はいう。「(善人は気楽なものだが)堕落者は常にそこからハミだして、ただ一人曠野を歩いていくのである・・・孤独という通路は神に通じる道であり、善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、とはこの道だ」(『続堕落論』)
この安吾の『歎異抄』の読み方はやや独特だが、彼がいわんとしたことは堕落による新しい規範の創出に他ならない。すなわち「人は無限に墜ちきれるほど堅牢な精神にめぐまれていない。何物かカラクリにたよって落下をくいとめずにいられない・・・堕落は制度の母体である」(前掲書)
安吾は日本人はもともと復讐心が少ない人間であるからこそ仇討ちが制度化されたこと、権謀術数が伝統であればこそ武士道が工夫されたことなど例をあげ、だから「人は正しく墜ちる道を墜ちきることが必要なのだ」と説く。
さて現在、日本経済は景気の回復と構造改革という二つの相反する課題に直面している。どちらを優先するのか。安吾の考えによれば明らかに後者となる。
われわれ戦後世代は、戦後をひたむきに生き、日本の経済発展に寄与してきたと些かの自負はあるものの、荒廃した戦後教育しか受けられなかったゆえに、教養と独創性に欠けるとの指摘を受けることがある。内心忸怩たるものがある。それが自信喪失にもつながっている。でも安吾は気にすることはないという。
「僕は・・玉泉も大雅堂も竹田も鉄斉も知らない・・けれども、そのような僕の生活が・・貧困なものとは考えていない・・・法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ・・武蔵野の静かな落日はなくなったが累々たるバラックの屋根に夕陽が落ち・・ここにわれわれの実際の生活が魂を下ろしている限り、これが美しくなくて、何であろうか」
「猿真似を恥じることはない。それが真実の生活である限り、猿真似にも、独創と同一の優越があるのである」(『日本文化私観』)
安吾は「ありのままの自分への信頼」が最も大切と説いた。その言葉には今読んでみても魂の震えを覚える。そのため引用が長くなった。ご寛恕を乞う。
(橋本尚幸)
1998年8月1日土曜日
「調整インフレ」についてもう少し議論をしよう
さかんに「調整インフレ」について議論されたが、反対意見が多く、また日銀総裁の否定的な見解発表もあり、最近は一段落の感がある。でもこの問題は、わが国を今後どういう方向に持って行くかという、きわめて本質的な問題を含んでおり、これでお仕舞いにするにはまだまだ早いように思う。
公債依存度がこれだけ増えてしまったいま、景気を刺激するにしても財政政策には限界がある。一方で、金利は既に「超低金利」となっており、更に金利を下げる余地はない。しかしマネーの的拡大をじて「期待インフレ率」を上昇させることができれば、名目金利は変化させずとも「実質ベース」で金利を低下させ景気刺激になる。これが「調整インフレ論」である。
これに対して「物価のコントロールは難しい」とか、「とにかくインフレは悪」との反論は多く出されたが、この調整インフレ政策が、世界経済にどのような影響を与えるのか、産業構造、不良債権問題との絡みはどうかなど、もうちょっと突っ込んだ議論があってもよかったように思う。二三の議論の材料を提起したい。
まず第一に、わが国で喫緊の課題である不良債権問題との関係である。金融機関の貸付残高で不良資産化している部分を公的資金で補填しようというのが政府の考えである。一種の「徳政令」であるが、最終的な負担者は誰かといえば、公的資金とは税金であるので納税者ということになる。負担比率は納税割合、すなわちほとんど「所得」に応じてである。一方、調整インフレ政策も金融機関の負債残高を実質で減少させるので不良債権問題の解決になる。ただ損失を負担するのは金融資産の所有者で、負担割合は基本的には資産残高に応じてである。公的資金による救済の場合、最終的負担の分担基準は所得の額(フロー)であるのに対し、インフレによる救済の場合は金融資産(ストック)の額となるのだ。わが国においては、所得格差より資産格差の方がはるかに大きいことを考えると、調整インフレ政策の方がより公平な負担方法といえるのではないか。
第二に、世界経済への影響である。インフレは円安を引き起こし、日本の輸出競争力を高め、景気回復を加速させる。一方アジア諸国の輸出には不利に働く。中国はこの機会に人民元を切り下げ、その責任を日本に押しつける可能性が高く、政治的には難しい判断となる。しかし日本経済はアジア経済の75%を占め、日本経済の成長なしにアジア経済の回復もあり得ない。また円安はサービス化が進んだアメリカ経済に対しては悪影響を与えることはない。「国際的責任」とやらを考えすぎて適切な行動をとらないことは、それこそわが国の国益を二義的に考えているとの謗りを免れないのである。
第三に、産業構造調整との関係である。インフレには産業構造の高度化を促進する働きがあることが知られている。産業構造の高度化のためには、就業者が効率の悪い業種から効率の高い業種にスムーズに継続的に移動しなければならないが、これは業種間の賃金格差によってはじめて可能になる。現代社会においては、賃金の下方硬直性があるため、この賃金格差を生じさせるには適当なインフレが必要であることが実証されている。逆に言えば、いまのようなゼロ・インフレ経済では、産業構造の高度化は期待できない。日本産業の10年20年先の国際競争力を考える場合、これは重要なポイントである。
以上、今回あまり議論されなかったと思われる二三の点について問題提起をした。「調整インフレ」議論を単なる技術論や善悪論だけで終わらせてはならない。
(橋本)
公債依存度がこれだけ増えてしまったいま、景気を刺激するにしても財政政策には限界がある。一方で、金利は既に「超低金利」となっており、更に金利を下げる余地はない。しかしマネーの的拡大をじて「期待インフレ率」を上昇させることができれば、名目金利は変化させずとも「実質ベース」で金利を低下させ景気刺激になる。これが「調整インフレ論」である。
これに対して「物価のコントロールは難しい」とか、「とにかくインフレは悪」との反論は多く出されたが、この調整インフレ政策が、世界経済にどのような影響を与えるのか、産業構造、不良債権問題との絡みはどうかなど、もうちょっと突っ込んだ議論があってもよかったように思う。二三の議論の材料を提起したい。
まず第一に、わが国で喫緊の課題である不良債権問題との関係である。金融機関の貸付残高で不良資産化している部分を公的資金で補填しようというのが政府の考えである。一種の「徳政令」であるが、最終的な負担者は誰かといえば、公的資金とは税金であるので納税者ということになる。負担比率は納税割合、すなわちほとんど「所得」に応じてである。一方、調整インフレ政策も金融機関の負債残高を実質で減少させるので不良債権問題の解決になる。ただ損失を負担するのは金融資産の所有者で、負担割合は基本的には資産残高に応じてである。公的資金による救済の場合、最終的負担の分担基準は所得の額(フロー)であるのに対し、インフレによる救済の場合は金融資産(ストック)の額となるのだ。わが国においては、所得格差より資産格差の方がはるかに大きいことを考えると、調整インフレ政策の方がより公平な負担方法といえるのではないか。
第二に、世界経済への影響である。インフレは円安を引き起こし、日本の輸出競争力を高め、景気回復を加速させる。一方アジア諸国の輸出には不利に働く。中国はこの機会に人民元を切り下げ、その責任を日本に押しつける可能性が高く、政治的には難しい判断となる。しかし日本経済はアジア経済の75%を占め、日本経済の成長なしにアジア経済の回復もあり得ない。また円安はサービス化が進んだアメリカ経済に対しては悪影響を与えることはない。「国際的責任」とやらを考えすぎて適切な行動をとらないことは、それこそわが国の国益を二義的に考えているとの謗りを免れないのである。
第三に、産業構造調整との関係である。インフレには産業構造の高度化を促進する働きがあることが知られている。産業構造の高度化のためには、就業者が効率の悪い業種から効率の高い業種にスムーズに継続的に移動しなければならないが、これは業種間の賃金格差によってはじめて可能になる。現代社会においては、賃金の下方硬直性があるため、この賃金格差を生じさせるには適当なインフレが必要であることが実証されている。逆に言えば、いまのようなゼロ・インフレ経済では、産業構造の高度化は期待できない。日本産業の10年20年先の国際競争力を考える場合、これは重要なポイントである。
以上、今回あまり議論されなかったと思われる二三の点について問題提起をした。「調整インフレ」議論を単なる技術論や善悪論だけで終わらせてはならない。
(橋本)
1998年7月1日水曜日
先達に学ぶ「グローバル化」への適応
日本の自信喪失が顕著である。あれほど天下無敵を誇った「日本システム」も今やくそみそに批判され、日本人はすっかり弱気になってしまったようだ。つい昔までの「ゴーマ(傲慢)ニズム」から一転して今や自虐的な「日本まったく駄目論」が蔓延っている。どちらが正しいかはともかく、この極端から極端への振れの大きさに現代日本人の弱さがあらわれているように思う。
背景に待ったなしの「グローバル化」への適応が人々に大きなストレスを引き起こしていることがある。しかし前例がないわけでもない。文明開化となれば何と言っても明治時代。その時代に日本の国際化の第一線に立ってグローバル化に直面した当時の第一級の人々の葛藤ぶりを見ることは現代日本人にとっても参考になるように思う。森鴎外、夏目漱石、永井荷風にそれを見てみたい。
この三人のうち一番早く欧米文化に触れたのは鴎外であった。陸軍省から明治17年にドイツに派遣された。日清戦争の始まる10年も前のことであり当時の日本は極東の全くの弱小国であった。鴎外はベルリンで華やかな社交と観劇に明け暮れる生活を送る。鴎外においては文化摩擦とかコンプレックスが不思議なほどに見られないのだ。もっともその後帰国して陸軍で出世するが、後を追いかけてきた(『舞姫』のモデルらしい)ドイツ婦人には「普請中なのだ」と言い訳のような言葉を述べる。鴎外にとって日本とはあくまでも「普請中」なのであり、だから葛藤もコンプレックスも何もなかったことがわかる。
ところが明治33年にロンドンに留学した漱石の時代になると状況は大いに異なった。日本は極東の強国としての地位を固めつつあった。どうしても漱石は自意識過剰となり西洋文化との適応に悩みに悩む。明治20年代に大幅円安が進行して漱石のロンドン生活は経済的に苦しかったこともある。「惨めなむく犬のような」生活ののち、ようやく「自己本位」という拠り所を見つけはするが、ほとんどノイローゼになってしまう。無礼を承知で言わせていただければ、あまりに肩に力が入っていたように思う。しかしさすがは漱石、「(日本人は)自ら得意になる勿れ。自ら棄る勿れ。黙々として牛のごとくせよ」と印象的な言葉を残しているのである。
興味深いのは永井荷風である。荷風が日本を離れるのは明治36年だが、荷風の場合に特徴的なことは、ほとんど完璧に西欧文明に適応するのであるが、逆に当時の日本の表面的な「近代化」に激しい嫌悪感を感じるようになったことである。遂に荷風は似非「近代化」には背を向けて江戸伝統文化への回帰を決意するのだ。この当時の安直な「近代化」がその後の日本を破滅に追い込んで行くことは荷風の直感通りであった。
いま自信喪失の時代において、われわれはこの三人の先達から学ぶところが多いように思う。われわれ平成の日本人は今、鴎外のように日本は所詮「普請中」と割り切ってもっと気楽になり、荷風がもっとも嫌った「背伸びした(似非)近代化」はつとめて避け、漱石が書いたように何を言われても「真面目に牛ごとく黙々と進む」べきなのである。
(橋本)
背景に待ったなしの「グローバル化」への適応が人々に大きなストレスを引き起こしていることがある。しかし前例がないわけでもない。文明開化となれば何と言っても明治時代。その時代に日本の国際化の第一線に立ってグローバル化に直面した当時の第一級の人々の葛藤ぶりを見ることは現代日本人にとっても参考になるように思う。森鴎外、夏目漱石、永井荷風にそれを見てみたい。
この三人のうち一番早く欧米文化に触れたのは鴎外であった。陸軍省から明治17年にドイツに派遣された。日清戦争の始まる10年も前のことであり当時の日本は極東の全くの弱小国であった。鴎外はベルリンで華やかな社交と観劇に明け暮れる生活を送る。鴎外においては文化摩擦とかコンプレックスが不思議なほどに見られないのだ。もっともその後帰国して陸軍で出世するが、後を追いかけてきた(『舞姫』のモデルらしい)ドイツ婦人には「普請中なのだ」と言い訳のような言葉を述べる。鴎外にとって日本とはあくまでも「普請中」なのであり、だから葛藤もコンプレックスも何もなかったことがわかる。
ところが明治33年にロンドンに留学した漱石の時代になると状況は大いに異なった。日本は極東の強国としての地位を固めつつあった。どうしても漱石は自意識過剰となり西洋文化との適応に悩みに悩む。明治20年代に大幅円安が進行して漱石のロンドン生活は経済的に苦しかったこともある。「惨めなむく犬のような」生活ののち、ようやく「自己本位」という拠り所を見つけはするが、ほとんどノイローゼになってしまう。無礼を承知で言わせていただければ、あまりに肩に力が入っていたように思う。しかしさすがは漱石、「(日本人は)自ら得意になる勿れ。自ら棄る勿れ。黙々として牛のごとくせよ」と印象的な言葉を残しているのである。
興味深いのは永井荷風である。荷風が日本を離れるのは明治36年だが、荷風の場合に特徴的なことは、ほとんど完璧に西欧文明に適応するのであるが、逆に当時の日本の表面的な「近代化」に激しい嫌悪感を感じるようになったことである。遂に荷風は似非「近代化」には背を向けて江戸伝統文化への回帰を決意するのだ。この当時の安直な「近代化」がその後の日本を破滅に追い込んで行くことは荷風の直感通りであった。
いま自信喪失の時代において、われわれはこの三人の先達から学ぶところが多いように思う。われわれ平成の日本人は今、鴎外のように日本は所詮「普請中」と割り切ってもっと気楽になり、荷風がもっとも嫌った「背伸びした(似非)近代化」はつとめて避け、漱石が書いたように何を言われても「真面目に牛ごとく黙々と進む」べきなのである。
(橋本)
1998年6月1日月曜日
日本は身の丈に応じた国際貢献を
「共産主義」という名の妖怪が欧州を彷徨したのは19世紀のことだが、20世紀も終わりを迎えた現在、「市場主義」という名の荒ぶる神が、アジアを暴れまわっている。この巨大な力は、たとえ何十年続いた政権ですら簡単に押し潰してしまう。発展途上にあるアジア各国の経済などは、まるで木の葉のように翻弄されている。はたしてアジアは現在の苦境を克服することが出来るのか。そのためにわが国は何を為すべきか。
日本の役割といえば、常識的ではあるが、内需を増大させ、アジアの輸出の吸収者の役割を引き受けることだといわれる。どうやって内需を増大させ、それを輸入の増大に結びつけるか、様々の理由から、これは言うべくしてなかなか難しい。アジア輸出の市場としての日本の役割も、相当制限されることにならざるを得ないように思う。
最近東京で開かれた国際シンポジウムで、香港からの参加者がいみじくもこの点を指摘した。日本は「アジアへの貢献、貢献と、出来もしないことをいうより、自分自身がアジア経済の足を引っ張ることのないようにしたらどうか」と喝破したのだ。
あまりにも消極的な国際貢献だが理屈に合っている。ネガティブな行動をとらないことこそが国際貢献となる例は多い。中国の人民元は、購買力平価の5分の1程度の水準で中国の輸出ドライブの原動力だ。本来なら各国から人民元の「切り上げ」要求が出てしかるべきだが、現実には単に「人民元を切り下げない」だけのことで、立派に中国は世界に貢献していると評価されているのである。
日本も先進国サミットなどで「日本経済は大丈夫だ、内需拡大は可能だ」と空元気を見せるのではなく、現在日本が直面している窮状を素直に説明し、経済を深刻なデフレ・スパイラルに陥らせないことこそ日本が出来る国際貢献だと実情を知らせるべきではないか。
日本は現在、過剰設備の調整という大きな問題を抱えている。この問題(資本係数の上昇)は、前川レポートで内需拡大が叫ばれた1986年あたりから急に顕著になってきたものだ。この前川レポートを楯に大幅な内需拡大を求める外圧に応え、際限なく金融を緩和させたことが、過大な設備投資につながり、設備バブルを産み出したとも言える。この解消は短期間ではなかなか難しい。
でも、ものは考えようだ。ハーマン・カーンが「21世紀には日本が米国を抜く」と書いたのは1960年代の終わりだった。当時、当社のさる役員は若い社員を前にこう言ったものだ。「来世紀には日本人はアメリカ人より豊かになるとのことだが、私は年寄りであり最早そんな世界を生きて経験することは出来ない。若い君たちは21世紀まで生きることが出来る。実にうらやましい」と。ところが現実には円高が進み、1987年には早くも日本は1人当たりGDPでアメリカを抜くことになった。ちょっと早すぎたのだ。
もちろんこれは名目金額での話であり、購買力で考えれば日本の1人当たりの購買力は米国の7割程度に過ぎなかった。しかし徐々に改善が進んでおり、今や8割程度までに追いついている。低成長が続いても日本経済のキャッチアップは着実に進行しているのだ。
(橋本)
日本の役割といえば、常識的ではあるが、内需を増大させ、アジアの輸出の吸収者の役割を引き受けることだといわれる。どうやって内需を増大させ、それを輸入の増大に結びつけるか、様々の理由から、これは言うべくしてなかなか難しい。アジア輸出の市場としての日本の役割も、相当制限されることにならざるを得ないように思う。
最近東京で開かれた国際シンポジウムで、香港からの参加者がいみじくもこの点を指摘した。日本は「アジアへの貢献、貢献と、出来もしないことをいうより、自分自身がアジア経済の足を引っ張ることのないようにしたらどうか」と喝破したのだ。
あまりにも消極的な国際貢献だが理屈に合っている。ネガティブな行動をとらないことこそが国際貢献となる例は多い。中国の人民元は、購買力平価の5分の1程度の水準で中国の輸出ドライブの原動力だ。本来なら各国から人民元の「切り上げ」要求が出てしかるべきだが、現実には単に「人民元を切り下げない」だけのことで、立派に中国は世界に貢献していると評価されているのである。
日本も先進国サミットなどで「日本経済は大丈夫だ、内需拡大は可能だ」と空元気を見せるのではなく、現在日本が直面している窮状を素直に説明し、経済を深刻なデフレ・スパイラルに陥らせないことこそ日本が出来る国際貢献だと実情を知らせるべきではないか。
日本は現在、過剰設備の調整という大きな問題を抱えている。この問題(資本係数の上昇)は、前川レポートで内需拡大が叫ばれた1986年あたりから急に顕著になってきたものだ。この前川レポートを楯に大幅な内需拡大を求める外圧に応え、際限なく金融を緩和させたことが、過大な設備投資につながり、設備バブルを産み出したとも言える。この解消は短期間ではなかなか難しい。
でも、ものは考えようだ。ハーマン・カーンが「21世紀には日本が米国を抜く」と書いたのは1960年代の終わりだった。当時、当社のさる役員は若い社員を前にこう言ったものだ。「来世紀には日本人はアメリカ人より豊かになるとのことだが、私は年寄りであり最早そんな世界を生きて経験することは出来ない。若い君たちは21世紀まで生きることが出来る。実にうらやましい」と。ところが現実には円高が進み、1987年には早くも日本は1人当たりGDPでアメリカを抜くことになった。ちょっと早すぎたのだ。
もちろんこれは名目金額での話であり、購買力で考えれば日本の1人当たりの購買力は米国の7割程度に過ぎなかった。しかし徐々に改善が進んでおり、今や8割程度までに追いついている。低成長が続いても日本経済のキャッチアップは着実に進行しているのだ。
(橋本)
1998年5月6日水曜日
個人消費の低迷と老後の不安
今年のゴールデンウィーク中の築地市場の売上はまずまずであったとのことだ。例年この期間は、多くの人が東京を離れるので、都内の青果の需要は大幅に落ち込むのが通例である。しかし今年は不況で休みを自宅で過ごした人が多く、築地の売上は落ち込むことはなかったらしい。消費者マインドの悪化もいよいよここまで来たかとの感を深くする。
小売り関係者によると最近の消費者の堅実化ぶりはたいへんなもので、特に中高年層の節約ぶりは徹底しているとのことである。この要因はいろいろあろうが、やはり不透明な将来への不安、具体的には老後不安の増大が大きいように思う。
この背景には伝統的な社会制度が崩れつつあることがある。昔は長男が親と同居して親の面倒を見ることが当然と考えられたが、時代は変わった。一方で、それを補うはずの公的年金制度も維持できなくなりつつある。中高年は、否が応でも倹約して、自分の老後は自分で面倒を見ざるを得ないのである。
さらに介護サービスの問題がある。一般的に豊かな社会においては、サービスの価格は財の価格に較べ相対的に上昇するから、将来日本人の平均収入が増えるとすると、介護サービス価格もそれに応じて上昇することになる。高齢者の将来収入は引退時点での資産残高で規定され将来ともにほぼ一定であるので、社会が豊かになればなるほど高齢者は介護サービスを購入することが困難になるという、逆説的なシナリオが成り立つのだ。
もちろん年金制度などをいじくって制度面で対応を考えることも可能だが、財政支出の増大につながる。どうしても老人介護のサービス価格を、財政支援を通じてではなく、直接的に低減させる方法を考えねばならない。
この問題への根本的な解決方法として、老人介護における外国人看護人の就労規制を緩和する方法がある。外国人というと拒絶反応があるが、日本の人口に占める外国人の人口比率はまだまだ小さい。宗教問題もない。
将来日本の高齢者人口比率が25%となり、そのうち10人に一人が寝たっきりとなったとしても300万人である。100万人程度の外国人看護人がおれば、すべての寝たっきり老人の介護が可能になる。現在の日本の外国人比率を1%押し上げる程度の変化である。それだけで、我々は安心して長生きが出来るようになるのだ。
来ていただいた外国人看護人には誠意を持って報恩するべきである。フランスの外人部隊の隊員には、5年の契約期間が終わった段階でフランス国籍が認められる。「フランスのため血を流した人間はフランス人だ」という理屈だ。お年寄りのお世話を一定期間やってくれた外国人看護人には、日本の国籍や市民権を進呈すべきだろう。それこそ「日本のお年寄りの面倒をみてくれた若者は、出身地がどこであれ立派な日本人」なのである。いろんな出身地の若者が増えることで、社会も多様化し、ずっと楽しくなるだろう。将来の不安が低減されるので、中高年層も安心してお金を使うようになる。
総花的な景気対策ではなく、このような具体的で人々に元気を出させる政策が、もっともっと考えられてしかるべきではないか。
(橋本)
小売り関係者によると最近の消費者の堅実化ぶりはたいへんなもので、特に中高年層の節約ぶりは徹底しているとのことである。この要因はいろいろあろうが、やはり不透明な将来への不安、具体的には老後不安の増大が大きいように思う。
この背景には伝統的な社会制度が崩れつつあることがある。昔は長男が親と同居して親の面倒を見ることが当然と考えられたが、時代は変わった。一方で、それを補うはずの公的年金制度も維持できなくなりつつある。中高年は、否が応でも倹約して、自分の老後は自分で面倒を見ざるを得ないのである。
さらに介護サービスの問題がある。一般的に豊かな社会においては、サービスの価格は財の価格に較べ相対的に上昇するから、将来日本人の平均収入が増えるとすると、介護サービス価格もそれに応じて上昇することになる。高齢者の将来収入は引退時点での資産残高で規定され将来ともにほぼ一定であるので、社会が豊かになればなるほど高齢者は介護サービスを購入することが困難になるという、逆説的なシナリオが成り立つのだ。
もちろん年金制度などをいじくって制度面で対応を考えることも可能だが、財政支出の増大につながる。どうしても老人介護のサービス価格を、財政支援を通じてではなく、直接的に低減させる方法を考えねばならない。
この問題への根本的な解決方法として、老人介護における外国人看護人の就労規制を緩和する方法がある。外国人というと拒絶反応があるが、日本の人口に占める外国人の人口比率はまだまだ小さい。宗教問題もない。
将来日本の高齢者人口比率が25%となり、そのうち10人に一人が寝たっきりとなったとしても300万人である。100万人程度の外国人看護人がおれば、すべての寝たっきり老人の介護が可能になる。現在の日本の外国人比率を1%押し上げる程度の変化である。それだけで、我々は安心して長生きが出来るようになるのだ。
来ていただいた外国人看護人には誠意を持って報恩するべきである。フランスの外人部隊の隊員には、5年の契約期間が終わった段階でフランス国籍が認められる。「フランスのため血を流した人間はフランス人だ」という理屈だ。お年寄りのお世話を一定期間やってくれた外国人看護人には、日本の国籍や市民権を進呈すべきだろう。それこそ「日本のお年寄りの面倒をみてくれた若者は、出身地がどこであれ立派な日本人」なのである。いろんな出身地の若者が増えることで、社会も多様化し、ずっと楽しくなるだろう。将来の不安が低減されるので、中高年層も安心してお金を使うようになる。
総花的な景気対策ではなく、このような具体的で人々に元気を出させる政策が、もっともっと考えられてしかるべきではないか。
(橋本)
1998年4月2日木曜日
資本ストックの調整が景気回復の鍵に
たしかに最近の景気は惨憺たるものだが、不況脱出のために何をすればよいのか、なぜかなかなかコンセンサスが出来上がらない。網羅的な「総合経済政策」は何度も立案されるのだが、あまり評価されず、皮肉にも政治家がそれを云々する度に逆に株価が下がる。
分析が足らないわけではない。日本経済についてはすでに膨大な分析がなされており、多くの問題点が指摘されている。バブルの崩壊が資産デフレをもたらし、それが金融システムの破綻につながったこと、背景には日本経済の規制体質があり、それから脱却しグローバルスタンダードに対応するためには規制緩和と競争原理の導入が必要である云々。一々もっともであるが、それらの問題意識に基づいた経済の体質改善を狙う「政治的に正しい」構造政策は、インフルエンザの患者に漢方薬を処方するのに似て(理屈では正しい処方であるとしても)、患者はなかなか楽にならない。むしろ患部に直接きく「対症療法」のほうが望まれている。
いま実体経済が直面する問題とはデフレギャップである。需要が少なすぎるのだが、むしろ供給が需要に比べて多すぎる、すなわち設備過剰問題だと考えればよい。
これは米国経済と比較してみるとよくわかる。日本の設備投資比率(民間設備投資/GDP)はおおむね15~20%、一方米国は10%程度にすぎない。また日本の資本係数(民間設備ストック/GDP)は1.2であるが、米国は1.1であり日本は米国に比べ約10%大きい。この過剰設備が、バブル崩壊にともなう期待成長率の低下を契機に一挙に表面化し、アジアにおける過剰投資も加わり、日本経済に大きなデフレ圧力をもたらし、さまざまな歪みとなって現れているのだ。
よって景気対策の基本は、あくまでも需要の拡大と供給の削減にあるべきである。ただ需要を拡大させる場合でもそれが供給の拡大に結び付かないように注意しなければならない。つまり設備投資比率が変わらないとすると、総需要の拡大政策が採られても、必ずその一定割合が民間設備投資にまわり、それが供給力を拡大させ、逆にデフレギャップが広がってしまうこともありうる。また競争を通じての過剰設備の解消を狙うにせよ、過去に過当競争が常に過剰設備問題をもたらしてきた事実や、敗者をなかなか決定させない日本の社会風土を考えると、競争が結果的に経済全体の供給力を増加させる可能性があることも留意すべきだろう。
そう考えると需要の創出よりも供給の削減、過剰設備の除却がむしろ効果的かもしれない。いま民間企業が進めている「経営資源の戦略的配分」とはこの動きに他ならない。これをもっと広く国民経済ベースで進めなければならない。必要なのは経済のノンコア部分を勇気を持って整理する政治の指導力である。
ともあれ、日本の資本係数を米国並にするには、全体で資本ストックを50兆円程度減らす必要がある。それを5年で調整するとすれば、毎年10兆円づつ設備投資を抑えることになる。こうなると景気の早期回復は難しいと考えざるを得ない。でもその間を堪え忍び、スリム化に本当に成功すれば、21世紀の日本経済は再び天下無敵となるだろう。
(橋本)
分析が足らないわけではない。日本経済についてはすでに膨大な分析がなされており、多くの問題点が指摘されている。バブルの崩壊が資産デフレをもたらし、それが金融システムの破綻につながったこと、背景には日本経済の規制体質があり、それから脱却しグローバルスタンダードに対応するためには規制緩和と競争原理の導入が必要である云々。一々もっともであるが、それらの問題意識に基づいた経済の体質改善を狙う「政治的に正しい」構造政策は、インフルエンザの患者に漢方薬を処方するのに似て(理屈では正しい処方であるとしても)、患者はなかなか楽にならない。むしろ患部に直接きく「対症療法」のほうが望まれている。
いま実体経済が直面する問題とはデフレギャップである。需要が少なすぎるのだが、むしろ供給が需要に比べて多すぎる、すなわち設備過剰問題だと考えればよい。
これは米国経済と比較してみるとよくわかる。日本の設備投資比率(民間設備投資/GDP)はおおむね15~20%、一方米国は10%程度にすぎない。また日本の資本係数(民間設備ストック/GDP)は1.2であるが、米国は1.1であり日本は米国に比べ約10%大きい。この過剰設備が、バブル崩壊にともなう期待成長率の低下を契機に一挙に表面化し、アジアにおける過剰投資も加わり、日本経済に大きなデフレ圧力をもたらし、さまざまな歪みとなって現れているのだ。
よって景気対策の基本は、あくまでも需要の拡大と供給の削減にあるべきである。ただ需要を拡大させる場合でもそれが供給の拡大に結び付かないように注意しなければならない。つまり設備投資比率が変わらないとすると、総需要の拡大政策が採られても、必ずその一定割合が民間設備投資にまわり、それが供給力を拡大させ、逆にデフレギャップが広がってしまうこともありうる。また競争を通じての過剰設備の解消を狙うにせよ、過去に過当競争が常に過剰設備問題をもたらしてきた事実や、敗者をなかなか決定させない日本の社会風土を考えると、競争が結果的に経済全体の供給力を増加させる可能性があることも留意すべきだろう。
そう考えると需要の創出よりも供給の削減、過剰設備の除却がむしろ効果的かもしれない。いま民間企業が進めている「経営資源の戦略的配分」とはこの動きに他ならない。これをもっと広く国民経済ベースで進めなければならない。必要なのは経済のノンコア部分を勇気を持って整理する政治の指導力である。
ともあれ、日本の資本係数を米国並にするには、全体で資本ストックを50兆円程度減らす必要がある。それを5年で調整するとすれば、毎年10兆円づつ設備投資を抑えることになる。こうなると景気の早期回復は難しいと考えざるを得ない。でもその間を堪え忍び、スリム化に本当に成功すれば、21世紀の日本経済は再び天下無敵となるだろう。
(橋本)
1998年3月1日日曜日
日仏「アダルト・チルドレン」事情とリフレ政策
いきなり私事で恐縮だが、私の家内はフランスで68年5月学生革命のころに青春を過ごした世代に属し、あれで昔はなかなか元気がよかった。今はすっかりいいおばさんになって、日本とフランスを往復する生活を送っているが、時として時代の風潮に義憤をあらわにすることもある。欧州でいつまでたっても親離れできない、いわゆる「アダルト・チルドレン」が急速に増加している現象は、実に問題であるという。
フランスでは30歳になっても親離れができず両親の家にとどまって一緒に生活している子供が5人に1人の割合で存在するとのことだ。われわれの知り合いの家庭でも例にもれず、息子がまだ親離れできず両親の家の子供部屋に暮らしている。最近は実に自分の「パートナー」までそこに呼び込んで生活し始めたとのこと。親の価値観に反発し、一刻も早い自立を目指したわれわれ旧世代の人間は、こんな話を聞いて、ただもう驚くばかりである。
背景にあるものはヨーロッパの深刻な失業問題である。特に若年層が苦しく、若者の4人に1人は大学を卒業しても職を見つけることができない。この構造的な問題が若者の生活姿勢を、極度にうち向きで消極的なものに変化させ、それが社会全体の保守化傾向につながってきている。失業問題が、単なる経済的な問題にとどまらず、社会全体の価値観をもむしばんでいるのである。
この現象は日本にとって決して対岸の火事ではない。日本においても親離れできない子供が増えてきているように思う。現にわが家のお向かいでは、子供がいつまでたっても巣立たないので、逆に親のほうが家を出て田舎に引っ越してしまった。日本の場合は背景に土地問題がある。まじめに働いても若いうちはなかなか自分の住宅を保有できないのだ。「二世代住宅」というへんなものも今やすっかり一般的になった。
フランスでは雇用が少数の就業者で独占され、既得権化していることが失業を生みだし、結果として「アダルト・チルドレン」を生み出した。日本の場合は、土地が少数の所有者(地主)で保有され、既得権化していることが地価を押し上げ、結果としてフランスと同じく「アダルト・チルドレン」を生み出している。やや強引だが、両国ともに「既得権」が親離れしない子供を生みだし、ベンチャー精神を窒息させ、技術革新も停滞させ、社会の保守化をもたらしているともいえる。「風が吹けば桶屋が儲かる」のたぐいの議論に似ているが「遠からず」だろう。
日本経済は、来世紀にかけて当分低成長が続くものと予想されている。少子化の傾向がこれにさらに拍車をかける。昨今、低成長はやむを得ない、その中で将来を考えねばならないとの議論が目立つようになったが、経済の停滞が社会の価値観の分野にまで影響を及ぼすようになってくると、やはり看過できない。無理をしてでも成長率の嵩上げが必要である。具体的には少々のインフレを容認してでも景気を刺激するリフレ政策をとらねばならないだろう。国債発行は子孫に負担を先送りするというが、「アダルト・チルドレン」は、少しは苦労させた方がよい。
(橋本)
フランスでは30歳になっても親離れができず両親の家にとどまって一緒に生活している子供が5人に1人の割合で存在するとのことだ。われわれの知り合いの家庭でも例にもれず、息子がまだ親離れできず両親の家の子供部屋に暮らしている。最近は実に自分の「パートナー」までそこに呼び込んで生活し始めたとのこと。親の価値観に反発し、一刻も早い自立を目指したわれわれ旧世代の人間は、こんな話を聞いて、ただもう驚くばかりである。
背景にあるものはヨーロッパの深刻な失業問題である。特に若年層が苦しく、若者の4人に1人は大学を卒業しても職を見つけることができない。この構造的な問題が若者の生活姿勢を、極度にうち向きで消極的なものに変化させ、それが社会全体の保守化傾向につながってきている。失業問題が、単なる経済的な問題にとどまらず、社会全体の価値観をもむしばんでいるのである。
この現象は日本にとって決して対岸の火事ではない。日本においても親離れできない子供が増えてきているように思う。現にわが家のお向かいでは、子供がいつまでたっても巣立たないので、逆に親のほうが家を出て田舎に引っ越してしまった。日本の場合は背景に土地問題がある。まじめに働いても若いうちはなかなか自分の住宅を保有できないのだ。「二世代住宅」というへんなものも今やすっかり一般的になった。
フランスでは雇用が少数の就業者で独占され、既得権化していることが失業を生みだし、結果として「アダルト・チルドレン」を生み出した。日本の場合は、土地が少数の所有者(地主)で保有され、既得権化していることが地価を押し上げ、結果としてフランスと同じく「アダルト・チルドレン」を生み出している。やや強引だが、両国ともに「既得権」が親離れしない子供を生みだし、ベンチャー精神を窒息させ、技術革新も停滞させ、社会の保守化をもたらしているともいえる。「風が吹けば桶屋が儲かる」のたぐいの議論に似ているが「遠からず」だろう。
日本経済は、来世紀にかけて当分低成長が続くものと予想されている。少子化の傾向がこれにさらに拍車をかける。昨今、低成長はやむを得ない、その中で将来を考えねばならないとの議論が目立つようになったが、経済の停滞が社会の価値観の分野にまで影響を及ぼすようになってくると、やはり看過できない。無理をしてでも成長率の嵩上げが必要である。具体的には少々のインフレを容認してでも景気を刺激するリフレ政策をとらねばならないだろう。国債発行は子孫に負担を先送りするというが、「アダルト・チルドレン」は、少しは苦労させた方がよい。
(橋本)
1998年2月2日月曜日
通貨の急落にも拘わらず低迷するアジアの輸出
奇妙な事実がある。通貨の急落で大幅に輸出競争力が付いたはずのアジア各国の輸出がほとんど伸びていないのである。
インドネシアでは現地通貨ルピアが80%も下落して輸出が断然有利になったにもかかわらず、逆に輸出伸び率は昨年より鈍化している。マレーシアの輸出も最近は前年比マイナスが続いている。タイでも韓国でもほとんど横這いだ。通貨の大幅切り下げからすでに半年近くが経過したが、いまだに輸出にドライブがかからないのである。
つい最近までアジアから先進国への輸出の急増が保護主義につながりかねないと懸念されていたことを考えるとまるでうそのようだ。しかしこの事実にアジア経済の本質的な問題点がみえるように思う。
なぜ輸出が伸びないのか、いくつかの原因が考えられる。まずJカーブ効果がある。また伝統的な輸出産品の原材料品などは価格弾性値が低く安くなったからといって急に需要がでるものでもない。深刻な資金不足も問題だ。輸入部品や原材料価格は通貨切り下げで急上昇しているがL/Cをなかなか開くことができない。現地の付加価値ポーションが小さいので通貨を切り下げによる価格競争力の増加も部分的だ。
でももっと基本的な問題として、現地側に「輸出か、さもなくば死か」というような強烈な輸出姿勢がそれほど感じられないような気がするがどうであろうか。アジアからの輸出促進ミッションが頻繁に日本を訪れているとは聞かない。
多くのトランスプラントでは基本的に現地需要を対象としてライン設計がなされており、現地市場が崩壊したからといって簡単に先進国向け製品の生産に切り替えできないという事情があるという。
しかし1985年以降の円高進行のときは、日本企業は大挙して東南アジアに進出し、資本、技術、工場ばかりでなく、国内販売ネットワークに加え、輸出先などの海外ネットワークも現地に持ち込み、ゼロから必死で「アジアの奇跡」を実現させた。それが1995年春以降の円安基調への転換で、日本企業にはアジア現地工場からの輸出にそれほど強いインセンティブが働かなくなった。とたんにアジア各国で軒並み輸出の鈍化がはじまった。そろそろ「アジア発」の輸出努力があってもよいのではないか。
もちろん日本市場が冷え切っていることもある。昨年の日本のアジアからの輸入は数量ベースで前年比0・8%の増加にとどまった。特に下半期の各月は前年比マイナスが続いている。そこで「日本責任論」が出てくる。
しかしアジア経済の奇跡とその反動は、歴史的に円ドル相場に大きく影響されたことを考えると、そうとばかりはいえない。円ドル相場はひとえにアメリカの通商・金融政策に因るところが大きいからである。アジアは日米両国の貿易摩擦の受益者でもあり被害者でもあった。グローバル経済のなかでの犯人探しは決して生産的ではない。
いま重要なことはグローバルに、マクロ、ミクロ両面から、危機脱出のためのきめ細かい対策をひとつずつ組み上げていくことだろう。とくに民間ビジネスが果たす役割が大きく、そのための貿易保険、輸出入金融など、ビジネス環境の整備を求めたい。
(橋本)
インドネシアでは現地通貨ルピアが80%も下落して輸出が断然有利になったにもかかわらず、逆に輸出伸び率は昨年より鈍化している。マレーシアの輸出も最近は前年比マイナスが続いている。タイでも韓国でもほとんど横這いだ。通貨の大幅切り下げからすでに半年近くが経過したが、いまだに輸出にドライブがかからないのである。
つい最近までアジアから先進国への輸出の急増が保護主義につながりかねないと懸念されていたことを考えるとまるでうそのようだ。しかしこの事実にアジア経済の本質的な問題点がみえるように思う。
なぜ輸出が伸びないのか、いくつかの原因が考えられる。まずJカーブ効果がある。また伝統的な輸出産品の原材料品などは価格弾性値が低く安くなったからといって急に需要がでるものでもない。深刻な資金不足も問題だ。輸入部品や原材料価格は通貨切り下げで急上昇しているがL/Cをなかなか開くことができない。現地の付加価値ポーションが小さいので通貨を切り下げによる価格競争力の増加も部分的だ。
でももっと基本的な問題として、現地側に「輸出か、さもなくば死か」というような強烈な輸出姿勢がそれほど感じられないような気がするがどうであろうか。アジアからの輸出促進ミッションが頻繁に日本を訪れているとは聞かない。
多くのトランスプラントでは基本的に現地需要を対象としてライン設計がなされており、現地市場が崩壊したからといって簡単に先進国向け製品の生産に切り替えできないという事情があるという。
しかし1985年以降の円高進行のときは、日本企業は大挙して東南アジアに進出し、資本、技術、工場ばかりでなく、国内販売ネットワークに加え、輸出先などの海外ネットワークも現地に持ち込み、ゼロから必死で「アジアの奇跡」を実現させた。それが1995年春以降の円安基調への転換で、日本企業にはアジア現地工場からの輸出にそれほど強いインセンティブが働かなくなった。とたんにアジア各国で軒並み輸出の鈍化がはじまった。そろそろ「アジア発」の輸出努力があってもよいのではないか。
もちろん日本市場が冷え切っていることもある。昨年の日本のアジアからの輸入は数量ベースで前年比0・8%の増加にとどまった。特に下半期の各月は前年比マイナスが続いている。そこで「日本責任論」が出てくる。
しかしアジア経済の奇跡とその反動は、歴史的に円ドル相場に大きく影響されたことを考えると、そうとばかりはいえない。円ドル相場はひとえにアメリカの通商・金融政策に因るところが大きいからである。アジアは日米両国の貿易摩擦の受益者でもあり被害者でもあった。グローバル経済のなかでの犯人探しは決して生産的ではない。
いま重要なことはグローバルに、マクロ、ミクロ両面から、危機脱出のためのきめ細かい対策をひとつずつ組み上げていくことだろう。とくに民間ビジネスが果たす役割が大きく、そのための貿易保険、輸出入金融など、ビジネス環境の整備を求めたい。
(橋本)
1998年1月5日月曜日
不況下の日本経済は各論で乗り切ろう
今さらでもないが、今回の不況は本格的だ。社内営業部門に聞いても、ほとんどの業界で不況感が急速に強まってきている。しかし不況とは平均値の議論であり、細かく見ればまだまだ良いところも散在していることも事実である。
例えば、全体的に良くない半導体業界の中で技術力と先見性で一人勝ちしているメーカーも存在する。紙パルプ業界はよくなく、ティッシュペーパーなどを作っているメーカーはたいへんであるが、祝儀袋用などの和紙専業メーカーではきわめて高収益を享受しているところもある。かつては不況の代表業種であった造船業界だが、強い造船メーカーの船台は2000年までの受注で満杯である。不況感の強い不動産業界でも都心を中心に保有ビルの空室率がゼロという貸しビル業者もいる。
景気が悪いとか良いとか言うのはあくまでもマクロの議論である。業界をミクロベースで細かく見ると、まだまだ「まだら模様」なのだ。日本経済はいまや全体としての右肩上がり成長が期待できる状況にはない。そのなかで各営業部隊は懸命に、残っている「よい部分」を見つけだし、それをビジネスの種にしているのである。
常に柔軟に、時代の変化を先取りし、守備範囲と攻撃目標を柔軟にシフトさせるのは総合商社ならではの対応である。こういった分野が存在する限り、日本経済の将来はいわれているほどグルーミーでもないように思う。
もっとも気になる点もないわけでもない。グローバル化の大波の中で、どういった産業部門が「勝者」になっているのかと見れば、生産性とか国際性とかとは必ずしも関係がないようなのである。
例えば石油業界だが、特石法の導入で、国際的に見て著しく生産性が劣る小規模のガソリンスタンドを中心に流通経路の合理化と淘汰が進むものと考えられていた。しかしふたを開けてみると、自由化でガソリン価格が大きく下がる中で、零細スタンドはしぶとく頑張っている。逆に近代的な設備を保有して、一見ずいぶん国際的な石油元売り各社の方が、ガソリンを買い叩かれて、経営がしんどくなっているのである。
ガソリンスタンドなどの地域密着型の流通業界は、零細な家族経営が多く、労働生産性では確かに劣るものの、最後は家族の食費を削ってでも戦いうるという、恥も外聞もない抗戦力がある。最終消費者を握っていることも強みだ。また外国企業が代替できる分野でもない。よってなかなか負けないのである。
これはいくつかの面で示唆的であるように思う。つまり、わが国においては、グローバル化の大波の中で、産業の淘汰が進む部分は、必ずしも最も非効率的な部分とは限らない、ということである。農業や、コストが高くて数が多すぎるといわれる土建業についても同じことがいえる。いくつか行き詰まりも報じられるが、ほとんどが会社更生法の適用であり(自主廃業ではないので)業界全体ではなかなかスリム化が進まない。一方で大きな金融機関は簡単に破綻する。経済的な比較優位よりも、社会的、生物的な持久力が最後はものをいうのだ。
これは合理的な傾向であるとは思えない。社会構造的な改革も同時に進めないと日本経済は全体としての競争力を失うように思われる。
(橋本)
例えば、全体的に良くない半導体業界の中で技術力と先見性で一人勝ちしているメーカーも存在する。紙パルプ業界はよくなく、ティッシュペーパーなどを作っているメーカーはたいへんであるが、祝儀袋用などの和紙専業メーカーではきわめて高収益を享受しているところもある。かつては不況の代表業種であった造船業界だが、強い造船メーカーの船台は2000年までの受注で満杯である。不況感の強い不動産業界でも都心を中心に保有ビルの空室率がゼロという貸しビル業者もいる。
景気が悪いとか良いとか言うのはあくまでもマクロの議論である。業界をミクロベースで細かく見ると、まだまだ「まだら模様」なのだ。日本経済はいまや全体としての右肩上がり成長が期待できる状況にはない。そのなかで各営業部隊は懸命に、残っている「よい部分」を見つけだし、それをビジネスの種にしているのである。
常に柔軟に、時代の変化を先取りし、守備範囲と攻撃目標を柔軟にシフトさせるのは総合商社ならではの対応である。こういった分野が存在する限り、日本経済の将来はいわれているほどグルーミーでもないように思う。
もっとも気になる点もないわけでもない。グローバル化の大波の中で、どういった産業部門が「勝者」になっているのかと見れば、生産性とか国際性とかとは必ずしも関係がないようなのである。
例えば石油業界だが、特石法の導入で、国際的に見て著しく生産性が劣る小規模のガソリンスタンドを中心に流通経路の合理化と淘汰が進むものと考えられていた。しかしふたを開けてみると、自由化でガソリン価格が大きく下がる中で、零細スタンドはしぶとく頑張っている。逆に近代的な設備を保有して、一見ずいぶん国際的な石油元売り各社の方が、ガソリンを買い叩かれて、経営がしんどくなっているのである。
ガソリンスタンドなどの地域密着型の流通業界は、零細な家族経営が多く、労働生産性では確かに劣るものの、最後は家族の食費を削ってでも戦いうるという、恥も外聞もない抗戦力がある。最終消費者を握っていることも強みだ。また外国企業が代替できる分野でもない。よってなかなか負けないのである。
これはいくつかの面で示唆的であるように思う。つまり、わが国においては、グローバル化の大波の中で、産業の淘汰が進む部分は、必ずしも最も非効率的な部分とは限らない、ということである。農業や、コストが高くて数が多すぎるといわれる土建業についても同じことがいえる。いくつか行き詰まりも報じられるが、ほとんどが会社更生法の適用であり(自主廃業ではないので)業界全体ではなかなかスリム化が進まない。一方で大きな金融機関は簡単に破綻する。経済的な比較優位よりも、社会的、生物的な持久力が最後はものをいうのだ。
これは合理的な傾向であるとは思えない。社会構造的な改革も同時に進めないと日本経済は全体としての競争力を失うように思われる。
(橋本)
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